:::2012/01/01 (Sun):::
あけまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
そして、
お久しぶりです。
桜庭です。
さて、2011年のうちに反省会をやろうと思っていましたが、なぜかもう年越しちゃいました。
2011年、皆さんどうでしたか?
狭間は相変わらず更新もなく、日記も過去最低の更新でした。すいません。
でも、桜庭は元気です。
桜庭的には、めちゃくちゃ1年が早かったです。
その分、充実していました。主に研究が。
去年は(2010年ね)なんだかのんびりした穏やかな1年だったのに。主に4月から何だかんだで忙しかったです。でも、楽しかった。
とゆーわけで、振り返ってみましょう。(どーでもいいとか言わないで(笑)
1月2月3月はまぁ、引き続きのんびりした感じで過ごしまして、あーあと1年もしたら卒業かぁなんてのんびり考えてましたね。
就職活動も12月にやろう!と思ったのは何処へやら、一気にやる気をなくし、春休み前に迷子になりました。
なんてゆーか、今考えるとこの時期って、ダラァとしてたなぁって思います。大学生の極みみたいな生活してたような。
湊曰く、「大学生の思考ってアイスみたいにとろけてるじゃん」らしーです。
いや、うん。この時期が本当にそうだった。
4月。
多分、桜庭が変わるきっかけ的な時期でした。
研究室に行き始めて、自分の研究がどうするのか決めて、この業界で勉強していく意味を知った。それまで3年も大学に通ってて、始めて習ったことの先を見ることができた時期でした。
だから、本気で院に進むことも考えました。
5月6月
日記が途絶えた(笑
この時期に研究室にも慣れて、後輩もできて、研究の辛さも理解できた。
4月にはこの教授になら付いていける!って思っていたのが、研究続けるのって厳しいな、に変わった。
就職活動も研究を理由に殆どしてない、研究は進んでも厳しい、っていう迷路にまたはまり込んだ時期でした。
7月
初の学会発表が決まった。
この時期の学会って殆どが院生で、研究室からでも参加者は桜庭だけで、ホントめちゃくちゃ無理矢理参加させられた。最初は教授にめちゃくちゃ断ったし、嫌がった。でも、説得されて、結局出すことに決まって、期限ギリギリに仕上げた。
あの時はかなり嫌がったなぁ・・・(笑
8月9月
鬱になるかと思いました。今までとは違う方面で、鬱になるかと。
夏休みにも関わらず研究室に籠ったり、そのくせ進まなかったり、おかげで教授に怒られたり。だから学会出したくないって言った!って思ってました。ひたすらに。
だから、大学に行かないこともいっぱいありました。1日で映画3本見たりね。
何故!?桜庭だけ?ってずっと思ってた。
まぁ、桜庭の悪いクセ「逃げ出す」をしなかっただけ、少し成長したんだと思います←
9月の終わりに発表が終わってあの後の開放感ったらない。
でも、終わる1週間くらい前に、「よし、終わったら旅行に行こう」と決めました。
10月
まぁ、旅行行ってました。
今回もわりと行き当たりばったりで。学会翌日には大阪に、次の週には一人京都に3日間くらい、そこから直接USJにバイト先の方と。
で、また次の週には一人九州に。
九州はメチャクチャ楽しかったです。夜行バスで行って3泊してまた夜行バスで帰ってきました。夜行バス、安いです。学生の強い見方(笑
場所的には、長崎、島原、熊本で1泊ずつ。本当は5泊の予定でしたが、金銭的に無理で減らしました。
島原、凄く楽しかったです。夜、ホテルで暇で、ホテルの近くの商店街の中にある居酒屋に飲みに行ったんですよ、一人で。そこの店の方も、お客さんもみなさんめちゃくちゃいい人で。
九州弁はいまいち聞き取れないのが多かったですが、何かすごく仲良くなって、次の日、フェリーが出るまで案内していただきました。
旅行に行く度に思うのですが、ニュースでは危ないやら変質者やら聞きますけど、日本って実際もっと優しいんですよ。確かに、変な人はいっぱいいるかもしれませんけど、基本的に皆さん優しいです。
島原はまた九州に行くことがあれば立ち寄りたいなぁ。
で、旅行の話はコレくらいにして、10月の研究はホントに進んでませんでした。いやぁ、あれは気が抜けたんですね。完全に。
もっと言えば、先が見えていなかった。次、何をどうしようかも決まらなかった。
11月
まぁ、やっと研究のエンジンがかかった時期でした。
始めて教授からプログラムの援助をいただけた。しかも、今までとはまったく違う手法で。
でも、そのおかげで次の段階に進む道が見え、やる気も出た。地味に卒業までにやらなきゃいけないっていう危機感も覚えた。
一度、学会発表したからなのか、教授が何を求めてて、どう対処すればそれに答えられるのかも気付き始めた時期でした。
12月
研究室の友人に付き添って国際会議に参加してきました。高校生以来の海外。香港。
まぁ、旅行気分でついてったわけですが、変わった。今現在、桜庭は前向き体勢なんですが、この国際会議がきっかけです。
ここ重要なので飛ばさずに書きます。
まず、自分ってちっちぇな、って思いました。
確かに世界の中でも小さい日本と言う国で更に影響力も何もないただ一人の人間っていう意味での小さいって認識は常日頃から感じていて、この辺ネガティブに考えていたわけです。それが、そう思っていたこと自体がちっちぇなって思ったんですね。
知識とか持ってる技術以前の問題で、意識が低いっていうか・・・狭い?
知らないことを知ろうとしない自分とか、それでいいやって勝手に納得して終わらせようって思うことがダメだなって思えた。
何かをするにあたって、それに関することを知っていて活かせるのと、知らずに活かせないのとでは大きく結果が変わってくるのだと思う。だから経験しているのと経験してないのじゃ結果も違う。
先生が言うには、目の先にある損を考えて行動するんじゃなくて、その経験が将来自分にどう役に立ってくるのか、それを考えて行動していかなきゃいけないんだって言っていました。それが今後どうやって役に立つのかは分からないけど、未来、どっかでふとした時に役に立つときはくるからって。
それって、桜庭の9月の学会発表でもそうですよね。今ならあの時発表して良かったって思えます。11月にあった中間発表なんてあの経験まるっと活かして、変な度胸まで身に付いてましたからね。
で、まぁ国際発表って場はただ自分が発表して人の発表を聞いてっていうのだけではないって言う話もしました。相手の技術を自分に知識として入れて、自分の知識も相手に与えられる。そうした段階で議論できてまた、切磋琢磨できて、その技術をもとに世界は進化できる。
って。
何か、話はでっかくなったけど、そうなんですよね。今世界の技術が進化していくのはこういった人達が作り上げていたもので、これからもそうで。
こうやって考えると、自分が何の影響力も持たないただ一人の人間とは思わなくなって。そう感じてたのは桜庭が何もしていなくて、しようとしなかっただけで、実際何かをしてみたらどっかに繋がる可能性はあるのかな。
だから、ちょっとだけ未来が見えた気がしました。
あ、あと英語の重要性についても実感しました。
いや、冗談で笑って話してますけど、これ切実です。
英語ができないことで、話せない、聞き取れない、伝わらない、コミュニケーションが取れないの4重苦。
これじゃこの先海外旅行行けないじゃないか!ってことにも気付きました。
英語、勉強しよう。うん。
という感じのが12月にありました。
まぁ、国際会議出席後の桜庭は教授からもポジティブになったと評判です。
「ネガティブ思考をやめたんです」って言えるようにもなりました。
なんでもやってみればいいじゃん!思考が身に付いています。このまま持続させたいなぁ。
こんな感じの1年でした。
あれ、就職活動についての話が・・・。まぁ、あまりやっていません。
今の状況的には1社受けてるんですけど、結果待ち状態です。2次面接受けたの国際会議前なんで遅くとも正月明けくらいには連絡来ると思うんですけど・・・。
遅いってことは次の予定を決めてるからだよ!!ってここでもポジティブ思考でやり過ごしてます。
でも、この会社、今の業界からもそう遠く離れてるわけでもなく、桜庭的には興味深い会社なんで是非働きたい。受かってたらいいなぁ。
というのが今の就職活動状況です。
ああ、長い日記だ。
あとは、なんだ。
今年の抱負的な感じのこと書こうか。
まぁ、まず就職先決めよう。
我が家、今結構いろいろありまして・・・。
ここだから言えるんですけどね。ってか、愚痴らせて。
1月に母がそれまで働いてたパート先で正社員になりまして。桜庭より先に就職しよった(笑
まぁ、これは良かったのですが、11月に父が50過ぎにもなって会社辞めまして。あり得ない。そー思いません?何を隠そう、この人、人生で5社会社を辞めてるんですよ。あり得ない。
まぁ、いろいろやらかしてくれる父だとは思っていましたが、ここまでくると、もう言葉も出ないですよね。今の定職状況を娘を見て察しろよ!ってガチで思いました。
どこの企業が50過ぎたオッサン、しかも辞め癖のついたオッサン拾ってくれるんだよ・・・。
昔に比べれば母が正社員で働いている分今のが家系的にはマシですが、コレで桜庭が院に行くという道は自然に消滅しました。
んで、何としても早く就職先を決めなくては・・・。という状況です。
確かに父親として尊敬できる部分がないわけではないんですけど、ちょっとね、というか大分、反面教師な父です。ああいう旦那だけは捕まえたらアカン、母の口癖です。身にしみるお言葉です。ハイ。
あれ、話がズレた。
そう、抱負ですよね。
まぁ、就職先を決めるって言うのを第一目標に、無事卒業すること、それからちゃんと働くこと。
もし、就職が決まらなくても就職活動は続けながら、ダラけないこと。就職が決まれば仕事に慣れること。
就職が決まっても決まらなくても、今年はきっと人生の中で節目の年になると思います。
なんで、今後にとっていいスタートがきれるような年にしたいです。というか、します!
以上、新年早々長々と失礼しました。
今年もよろしくお願いします。
そして、
お久しぶりです。
桜庭です。
さて、2011年のうちに反省会をやろうと思っていましたが、なぜかもう年越しちゃいました。
2011年、皆さんどうでしたか?
狭間は相変わらず更新もなく、日記も過去最低の更新でした。すいません。
でも、桜庭は元気です。
桜庭的には、めちゃくちゃ1年が早かったです。
その分、充実していました。主に研究が。
去年は(2010年ね)なんだかのんびりした穏やかな1年だったのに。主に4月から何だかんだで忙しかったです。でも、楽しかった。
とゆーわけで、振り返ってみましょう。(どーでもいいとか言わないで(笑)
1月2月3月はまぁ、引き続きのんびりした感じで過ごしまして、あーあと1年もしたら卒業かぁなんてのんびり考えてましたね。
就職活動も12月にやろう!と思ったのは何処へやら、一気にやる気をなくし、春休み前に迷子になりました。
なんてゆーか、今考えるとこの時期って、ダラァとしてたなぁって思います。大学生の極みみたいな生活してたような。
湊曰く、「大学生の思考ってアイスみたいにとろけてるじゃん」らしーです。
いや、うん。この時期が本当にそうだった。
4月。
多分、桜庭が変わるきっかけ的な時期でした。
研究室に行き始めて、自分の研究がどうするのか決めて、この業界で勉強していく意味を知った。それまで3年も大学に通ってて、始めて習ったことの先を見ることができた時期でした。
だから、本気で院に進むことも考えました。
5月6月
日記が途絶えた(笑
この時期に研究室にも慣れて、後輩もできて、研究の辛さも理解できた。
4月にはこの教授になら付いていける!って思っていたのが、研究続けるのって厳しいな、に変わった。
就職活動も研究を理由に殆どしてない、研究は進んでも厳しい、っていう迷路にまたはまり込んだ時期でした。
7月
初の学会発表が決まった。
この時期の学会って殆どが院生で、研究室からでも参加者は桜庭だけで、ホントめちゃくちゃ無理矢理参加させられた。最初は教授にめちゃくちゃ断ったし、嫌がった。でも、説得されて、結局出すことに決まって、期限ギリギリに仕上げた。
あの時はかなり嫌がったなぁ・・・(笑
8月9月
鬱になるかと思いました。今までとは違う方面で、鬱になるかと。
夏休みにも関わらず研究室に籠ったり、そのくせ進まなかったり、おかげで教授に怒られたり。だから学会出したくないって言った!って思ってました。ひたすらに。
だから、大学に行かないこともいっぱいありました。1日で映画3本見たりね。
何故!?桜庭だけ?ってずっと思ってた。
まぁ、桜庭の悪いクセ「逃げ出す」をしなかっただけ、少し成長したんだと思います←
9月の終わりに発表が終わってあの後の開放感ったらない。
でも、終わる1週間くらい前に、「よし、終わったら旅行に行こう」と決めました。
10月
まぁ、旅行行ってました。
今回もわりと行き当たりばったりで。学会翌日には大阪に、次の週には一人京都に3日間くらい、そこから直接USJにバイト先の方と。
で、また次の週には一人九州に。
九州はメチャクチャ楽しかったです。夜行バスで行って3泊してまた夜行バスで帰ってきました。夜行バス、安いです。学生の強い見方(笑
場所的には、長崎、島原、熊本で1泊ずつ。本当は5泊の予定でしたが、金銭的に無理で減らしました。
島原、凄く楽しかったです。夜、ホテルで暇で、ホテルの近くの商店街の中にある居酒屋に飲みに行ったんですよ、一人で。そこの店の方も、お客さんもみなさんめちゃくちゃいい人で。
九州弁はいまいち聞き取れないのが多かったですが、何かすごく仲良くなって、次の日、フェリーが出るまで案内していただきました。
旅行に行く度に思うのですが、ニュースでは危ないやら変質者やら聞きますけど、日本って実際もっと優しいんですよ。確かに、変な人はいっぱいいるかもしれませんけど、基本的に皆さん優しいです。
島原はまた九州に行くことがあれば立ち寄りたいなぁ。
で、旅行の話はコレくらいにして、10月の研究はホントに進んでませんでした。いやぁ、あれは気が抜けたんですね。完全に。
もっと言えば、先が見えていなかった。次、何をどうしようかも決まらなかった。
11月
まぁ、やっと研究のエンジンがかかった時期でした。
始めて教授からプログラムの援助をいただけた。しかも、今までとはまったく違う手法で。
でも、そのおかげで次の段階に進む道が見え、やる気も出た。地味に卒業までにやらなきゃいけないっていう危機感も覚えた。
一度、学会発表したからなのか、教授が何を求めてて、どう対処すればそれに答えられるのかも気付き始めた時期でした。
12月
研究室の友人に付き添って国際会議に参加してきました。高校生以来の海外。香港。
まぁ、旅行気分でついてったわけですが、変わった。今現在、桜庭は前向き体勢なんですが、この国際会議がきっかけです。
ここ重要なので飛ばさずに書きます。
まず、自分ってちっちぇな、って思いました。
確かに世界の中でも小さい日本と言う国で更に影響力も何もないただ一人の人間っていう意味での小さいって認識は常日頃から感じていて、この辺ネガティブに考えていたわけです。それが、そう思っていたこと自体がちっちぇなって思ったんですね。
知識とか持ってる技術以前の問題で、意識が低いっていうか・・・狭い?
知らないことを知ろうとしない自分とか、それでいいやって勝手に納得して終わらせようって思うことがダメだなって思えた。
何かをするにあたって、それに関することを知っていて活かせるのと、知らずに活かせないのとでは大きく結果が変わってくるのだと思う。だから経験しているのと経験してないのじゃ結果も違う。
先生が言うには、目の先にある損を考えて行動するんじゃなくて、その経験が将来自分にどう役に立ってくるのか、それを考えて行動していかなきゃいけないんだって言っていました。それが今後どうやって役に立つのかは分からないけど、未来、どっかでふとした時に役に立つときはくるからって。
それって、桜庭の9月の学会発表でもそうですよね。今ならあの時発表して良かったって思えます。11月にあった中間発表なんてあの経験まるっと活かして、変な度胸まで身に付いてましたからね。
で、まぁ国際発表って場はただ自分が発表して人の発表を聞いてっていうのだけではないって言う話もしました。相手の技術を自分に知識として入れて、自分の知識も相手に与えられる。そうした段階で議論できてまた、切磋琢磨できて、その技術をもとに世界は進化できる。
って。
何か、話はでっかくなったけど、そうなんですよね。今世界の技術が進化していくのはこういった人達が作り上げていたもので、これからもそうで。
こうやって考えると、自分が何の影響力も持たないただ一人の人間とは思わなくなって。そう感じてたのは桜庭が何もしていなくて、しようとしなかっただけで、実際何かをしてみたらどっかに繋がる可能性はあるのかな。
だから、ちょっとだけ未来が見えた気がしました。
あ、あと英語の重要性についても実感しました。
いや、冗談で笑って話してますけど、これ切実です。
英語ができないことで、話せない、聞き取れない、伝わらない、コミュニケーションが取れないの4重苦。
これじゃこの先海外旅行行けないじゃないか!ってことにも気付きました。
英語、勉強しよう。うん。
という感じのが12月にありました。
まぁ、国際会議出席後の桜庭は教授からもポジティブになったと評判です。
「ネガティブ思考をやめたんです」って言えるようにもなりました。
なんでもやってみればいいじゃん!思考が身に付いています。このまま持続させたいなぁ。
こんな感じの1年でした。
あれ、就職活動についての話が・・・。まぁ、あまりやっていません。
今の状況的には1社受けてるんですけど、結果待ち状態です。2次面接受けたの国際会議前なんで遅くとも正月明けくらいには連絡来ると思うんですけど・・・。
遅いってことは次の予定を決めてるからだよ!!ってここでもポジティブ思考でやり過ごしてます。
でも、この会社、今の業界からもそう遠く離れてるわけでもなく、桜庭的には興味深い会社なんで是非働きたい。受かってたらいいなぁ。
というのが今の就職活動状況です。
ああ、長い日記だ。
あとは、なんだ。
今年の抱負的な感じのこと書こうか。
まぁ、まず就職先決めよう。
我が家、今結構いろいろありまして・・・。
ここだから言えるんですけどね。ってか、愚痴らせて。
1月に母がそれまで働いてたパート先で正社員になりまして。桜庭より先に就職しよった(笑
まぁ、これは良かったのですが、11月に父が50過ぎにもなって会社辞めまして。あり得ない。そー思いません?何を隠そう、この人、人生で5社会社を辞めてるんですよ。あり得ない。
まぁ、いろいろやらかしてくれる父だとは思っていましたが、ここまでくると、もう言葉も出ないですよね。今の定職状況を娘を見て察しろよ!ってガチで思いました。
どこの企業が50過ぎたオッサン、しかも辞め癖のついたオッサン拾ってくれるんだよ・・・。
昔に比べれば母が正社員で働いている分今のが家系的にはマシですが、コレで桜庭が院に行くという道は自然に消滅しました。
んで、何としても早く就職先を決めなくては・・・。という状況です。
確かに父親として尊敬できる部分がないわけではないんですけど、ちょっとね、というか大分、反面教師な父です。ああいう旦那だけは捕まえたらアカン、母の口癖です。身にしみるお言葉です。ハイ。
あれ、話がズレた。
そう、抱負ですよね。
まぁ、就職先を決めるって言うのを第一目標に、無事卒業すること、それからちゃんと働くこと。
もし、就職が決まらなくても就職活動は続けながら、ダラけないこと。就職が決まれば仕事に慣れること。
就職が決まっても決まらなくても、今年はきっと人生の中で節目の年になると思います。
なんで、今後にとっていいスタートがきれるような年にしたいです。というか、します!
以上、新年早々長々と失礼しました。
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